Photography courtesy of Uncle Antarctica
ほとんどの人にとってはすぐにでも逃げたくなるような環境。
しかし、日本の南極観測隊のメンバーで『南極おじさん』の愛称で知られる日本人エンジニアにとって、地球で最も過酷な環境の1つである南極での隔離生活は生き方の1つとも言えます。
『南極おじさん』は探検家のロバート・スコットが1世紀以上前にそうであったように、信頼できるグローブ・トロッターのトラベルケースを持って、ほとんどの人が訪れたこともない場所で数か月間、働きながら生活しています。
日本の南極観測隊とあなたの仕事について教えてください。
日本の南極観測隊はオーロラベルトの真下のある基地で通年で人が滞在している基地になります。
他の国の観測基地と同じく、気象や地質、エアロゾル、オーロラなど様々な研究データを取得している、南極では大きな基地になります。
私の仕事は雪上車のメンテナンス、運用がメインの仕事になります。
引退後はどのような予定を立てていますか?
日本に戻った後はいつも通り雪上車の仕事をしながらYoutubeで南極で生活や楽しい部分などを発信し、いろいろな人へ南極の事を紹介しています。
より多くの方に南極観測へ興味を持ってもらう事で様々な分野から理解を得てもらう事が可能かと思っています。
南極のような厳しい環境での生活について教えてください。
時にはマイナス40℃、風速50m/sの嵐が来ることもあります。
そんな中でも建物の維持やライフラインのメンテナンスもしなくてはなりません。
壊れたからと言って誰かが直しに来てはくれませんので全て自分たちで直し改善していかなければなりません。
雪上車が故障しても限られた部品しかありませんので、無い部品などは作ったり代用したりしています。
廃棄物も全て持ち帰るので食材なども出来るだけ無駄なく料理する様に工夫したり、余った料理は次の日に違う料理に作り変えたりして食べています。
ある意味究極のエコ生活と言えるかもしれません。
典型的な基地での一日の予定を教えてください。
昭和基地は時差が日本のマイナス6時間です。
ですが生活は日本と基本的に変わりません。
朝8時~9時には仕事が始まり、12時には昼食、18時には夕食。
日曜日は休みです。
基本的には大きな重機で除雪していることが多いです。
故障の対応も当然していますが、故障しない様に予防整備をしっかりやる様に心がけていました。
外が大荒れになっている時は事務仕事をすることが多いです。
室内での他部門の仕事が忙しい時などは手伝うこともあります。
ですが、トラブルがあったときは休日も夜中も関係なく対応します。
休みたい時にトラブルが起きるのはどこの基地も同じだと思います。
設備トラブルは夜中に起きることが多いです。結構頻繁におきます。
雪上車のトラブルで一番辛かった時は昭和基地から約1000km離れ、標高3810mで空気が平地の約半分の場所。
気温マイナス40℃、風速 15m/sの強風。体感温度はマイナス60℃。
その様な環境で小さなボルトを素手で回さなければならない時でした。
極寒・高地では外で5分しか作業が出来ません。
5分作業し、室内で10分休む。
こんなサイクルで作業していると日本なら30分で終わる作業が現地では1日かかりました。
そうしないと倒れたり、凍傷になったりします。
凍傷で感染症にかかってしまうと命を落とすこともあるので、細心の注意が必要でした。
長い間、家から離れて暮らして懐かしく思うことはどのようなことですか?
昭和基地は1年に1度の船が来るだけで、1年間の隔離生活を送ることになります。
30人以外の人間と会うことはなくなり、お金を使うこともなくなり、数少ない情報だけで生きていきます。
帰国後は「リハビリ」と言われるくらい世の中の時間の流れについて行けなくなったり、文明というものに違和感を覚える様になったりしてしまいます。
コンビニで無駄に買い物をしたい、スターバックスでゆっくりコーヒーを飲みたい、などと色々思いますが、素晴らしい景色を見ていると「帰りたくない」というのが本音かもしれません。
南極基地での生活は、人はほとんど何もなくても幸せに暮らせるということを証明していると思います。
昭和基地ではどのように休日を過ごしていますか?
天気がいいと休日でも自然と仕事をしている体になってしまいました。
ブリザードが来ると数日は外に出られなくなるので天気がいい日はチャンスです。
一気に仕事を片付けます。
南極では平日と休日の区別があまり無いので、平日でも「天気が悪い日は休む」と自分に言い聞かせて体を休めています。
でも午後には気がつくとパソコンの前で事務仕事をしている自分がいました。
Youtubeの作業は夜や早朝に行うことが多かった様に思います。
南極では、TVは全く見る事ができません。インターネットでもさすがに重過ぎて「観られる」と言うレベルではありません。
ほとんど読み込まず、画面が固まったままで逆にストレスになってしまいます。
後はグローブ・トロッターのケースに貼ったステッカーを何時間もかけて綺麗に貼り直したりもしていました笑
お持ちのグローブ・トロッターについて教えてください。
このブランドを最初に知ったのはいつ頃ですか?また製品のどのようなところがお気に入りですか?
東京で歩いている時に見かけたのが最初です。
恥ずかしい話ですが最初は「グローブ・トロッター」という名前すら知りませんでした。
一目見た瞬間にそのトラベルケースの持つ雰囲気に引き込まれて、「私はこれを持って南極へいくんだ!」と思ったのです。
その日のうちに衝動的に買おうとしましたが、一緒にいた仲間に止められてその日は買わずに帰宅をした後に調べたら、南極と関わりのあるケースだと知りました。
それを知ってからはその先はトントン拍子でしたね。
古い映画のイメージで、旅行者が持っているトラベルケースといえばグローブ・トロッターの様な形のイメージを持っていました。
そして調べれば調べるほど、そのイメージは正しかったということが分かって虜になっています。
南極のような厳しい環境で、お持ちのケースはどのように耐えていますか?
ヴァルカン・ファイバー製と聞いてはいましたが、正直なところ南極の極限の天候に耐えられるのだろうか、という不安はありました。
ですが実際に使って、外に置きっぱなしにしていても壊れるどころかますますいい色に変化していく事が楽しみでした。
私の使い方は高価な服を入れたり高級なホテルに行ったりとかではなく、冒険する相棒と言った使い方でまさに100年前キャプテン・ロバート・ファルコン・スコットさんと同じ様な使い方になっています。
お持ちのケースはたくさんのステッカーが貼られていますね。これらはどこで手に入れたものでしょうか?
ステッカーのコレクションはいつから始まったのでしょうか?
これは実際に行った場所、宿泊したホテル、参加した南極観測隊、交流した海外観測隊のステッカーを貼っています。
初めて買ったケースはもう貼る場所がなくなりました。
必ず初めて行った場所ではステッカーを探します。空港はシールを探すのが簡単ですが、空港以外の場所では、シールを探すのに半日かかることもあります。
日本から飛行機で荷物を運ぶことがあるので、トラベルケースには手荷物用のステッカーが貼られています。
このステッカーには、日本の国旗と行き先の「南極」が印刷されているので、空港で好奇心旺盛な人に聞かれることが多いですね。
ケースを通じていろいろな人とも繋がれるのが醍醐味になっています。
お持ちのグローブ・トロッターで旅した、思い出深い場所を教えてください。
韓国、中国、台湾、ベトナム、ラオス、タイ、オーストラリア、南アフリカです。
そんなに多くの場所には行っていませんが、各地でケースと共に忘れられない経験をさせてもらっています。
結構ハードな使い方しているのですが、いまだに一度も壊れて無いのは凄いですね。
あなたの旅についてのバケットリストを教えてください。
南極点と北極点。
そしてもちろんグローブ・トロッター発祥の地であるイギリスです。
工場などを見ることができれば見てみたいですね。
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