『タイムズ』紙の主任映画評論家ケビン・マーさんに、遠くへ行きたい気持ちが募る今こそ観たい映画を選んでいただきました。
「旅」を前面に押し出している映画を見て、いつも皮肉だなと思うのは、旅情をそそられる作品が少ないことです。『食べて、祈って、恋をして』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、『LIFE!』などは、主人公が世界を飛び回る、旅がモチーフの映画ですが、今ひとつ的外れの感が否めません。登場人物よりも背景の方が目立ち、ストーリーもどこか平板。物語の描写がスケール負けしています。むしろ、旅を主題としない映画の中にいいトラベルムービーが多いように思います。
『ローマの休日』(1953年)は、究極のトラベル・ラブストーリー。お忍びで街に出た王女アン(オードリー・ヘップバーン)と、抜け目ない新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)の心の動きが多くの人を引き付ける名作です。ふたりは永遠の都、ローマで一日を過ごし、コロッセオ、スペイン階段、トレビの泉といった名所をめぐります。しかし画面に描き出されているのは、惹かれ合いながらもぎくしゃくしてしまう、緊張感に満ちたふたりの恋心です。アンは自分が王女であることを隠し、一方ジョーは、それを知っているのに気づかないふりをして、この出会いを仕事に利用しようと考えています。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会にやってきたふたりは、有名な「真実の口」の前で、それぞれ自分の嘘と向き合うことになります。嘘をついている者が真実の口に手を入れると、その手を失ってしまうという、旅人の言い伝えがあるからです。怖がって手を入れることをためらうアンと、構わず手を入れ、しかも手がなくなった芝居をして、うそを重ねるジョー。見事な人物描写です。この作品の広告効果は映画史上最大級と言えますが、第一の魅力はやはり、作品そのものですね。
ローマの旅にお勧めのグローブ・トロッター: PAUL SMITH 7” LONDON SQUARE
このふたりも、どこかアン王女とジョーに似ています。『ビフォア・サンライズ』(1989年)は、ウィーンにひと晩足止めされたおしゃれな若い男女が、相手のことを知ろうと語り合い、やがて恋に落ちる物語です。ふたりは大観覧車の中でキスをしたり、ドナウ運河のほとりで詩を読んだりしながら、ウィーン中を歩き回ります。寄り添いながらおしゃべりするふたりの背景に広がるウィーンの街は、どの風景もずっと見ていたくなる美しさで、(誰もそんなことは言っていませんが)まさに究極のロマンスの都といった風情です。地元の若者に、英語で話してくれるかと聞くシーンでは、「いいよ。その代わり、君もドイツ語をしゃべってくれよ」と切り返されてしまいますが。
ウィーンの旅にお勧めのグローブ・トロッター: SAFARI 20” TROLLEY CASE, BROWN/NATURAL
レオナルド・ディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』(2000年)は、荒唐無稽な話です。不運な アメリカ人旅行者のリチャードが、楽園と呼ばれるビーチにたどりつき、集落を見つけます。しかし、そこに住んでいたのは、美しい快楽主義者のカルト集団。リチャードはサメに食われかけたり、独裁的なリーダーのシー・カーツ・サル(ティルダ・スウィントン)にセックスを強要されたりしたあげく、集落から追放されます。そしてほとんど正気を失いかけているときに、今度は武器で重装備した狂暴な大麻農夫の一団に捉えられてしまいます。こんな話ですが、それでも休みが取れたらタイに行きたい、映画に出てきたビーチ(ピピレイ島のマヤ湾)に行ってみたいと思ってしまいます。これが、ドラマチックな映画の力なのでしょう。
タイの旅にお勧めのグローブ・トロッター: SS20 CHELSEA GARDEN 26” TROLLEY CASE, MIDNIGHT BLUE/BLACK
『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)は、東京の街を美しい透明感の中で描いています。ビル・マーレイ演じるボブ・ハリスと、スカーレット・ヨハンソン演じる若いシャーロットは、静かなホテルのバーや賑やかなナイトクラブで過ごすうちに、恋とは呼べない魂のつながりを感じ始めます。ふたりの心がはっきりと響き合ったのは、カラオケに出かけたとき。ハリスは、しゃがれ声でエルヴィス・コステロの『ピース、ラヴ・アンド・アンダースタンディング』を調子外れに歌ってみせますが、そのあと急にトーンを変え、シャーロットを優しく見つめながら、切ない想いを込めてロキシー・ミュージックの『夜に抱かれて』を歌います。もちろん、ふたりの間には何も起きません。でもふたりの心に、そして私たちの心にも、「東京」はいつまでも残り続けるでしょう。
東京の旅にお勧めのグローブ・トロッター: ST MORITZ MINIATURE CASE, MOUNTAIN GREY/MISTY LILAC
そして、忘れてはならないのが『君の名前で僕を呼んで』(2017)。17歳の本好きな少年エリオ(ティモシー・シャラメ)と、誰にでも優しい20代のモテ男オリヴァー(アーミー・ハマー)の交流を、ルカ・グァダニーノ監督が屈託のないおだやかさで描いています。光あふれる真夏のロンバルディアの風景が印象的です。ガーデンパーティー、ベルガモへのバス旅行、ザ・サイケデリック・ファーズの『ラブ・マイ・ウェイ』に合わせたクレイジーなダンス、短いショートパンツなど、こうしたささやかな人間描写が、映画をその土地に根付かせると同時に、ロマンスを痛々しいほどリアルなものにしています。そこにこそ、トラベルムービーとして作られたのではないが、本質的にはトラベルムービーであるこの映画の根源的な魅力があるのでしょう。